仏教における実体の定義は、常に移り変わらず(無常でない)、外部世界に依存、関わらなくても、単独で存在できる(無我でない)もの、事を、「実体がある」と定義している模様です。

ず〜〜〜〜っと、

実体ってなんだ?

と、分からないでいた。

仏教を勉強していたり、

苫米地英人さんの本などで、

実体がない

などの言葉を、よく見たり、聞いたりするのですが、

実体ってなんだ?

と、ず〜〜、っと分からないでいたんだけど、

やっと、わかった気がします。

この本

書き込み式 ボールペン「般若心経」練習帖

の28ページを、今朝、読んで、写経していたのですが、

やっと、理解できたような気がします。

つま〜〜〜〜り!!

「実体がある」、とは、どの様に定義されているかと言うと、

**「常に移り変わらず(無常でない)、

外部世界に依存、関わらなくても、

単独で存在できる(無我でない)ものや事」**

の、様です。

28ページは、

「照見五蘊皆空」

の意味の説明だったのですが、

その意味が、

「私たちの肉体も、精神も、

皆空(実体がないこと)であることが、

わかって」

との意味なそうです。

すると!!

空と言うのは

我々の住んでいる宇宙は、

常に、移り変わっている(無常)世界であり、

単独では、存在できない(無我)世界である、

を意味している様です。

つまり、

空とは??

=無常、無我のこと

となります。

すると、この本では、

空=実体がないこと

と、定義されているので、

実体はどの様に定義されているかと言うと、

実体とは!!

「無常でなく無我でないこと」=実体がある

と定義されている事になります。

あと、無常を理解するのも、

結構大変だったんだけど、

「我々が目で見ているものは、あっという間に、変わる、

目を開けたら、あっちを見たり、

こっちを見たり、常に、同じものをじっと、見つめるのではなく、

いつも、瞬間瞬間で、

見ているものが変化してしまいます。

つまり、視覚で認識している画像は、

無常、つまり、常に移り変わってしまう」

ので、確かに、視覚で見ている世界はすぐに変わる、

視覚は無常である、

と、いう事は、なんとなく、わかる様な気がします。

あと、

心もころころ変わります。

「あ〜、腹減った〜〜、と思っていたと思ったら、

視覚にポルシェとかの写真が見えたりした途端、

あ!ポルシェ、かっこいいな〜〜〜」

なんて、すぐに、心で考えていた事は、

変わります。

心で思っていることなんて、

あっという間に、

変わってしまいます。

つまり、認識(識)は、ころころ、変わります(無常)。

この本でも、

「色受想行識」を五蘊(ごうん)というらしいのですが、

五蘊、つまり、考えていることや、見ているものなどは、

すぐに変化するもので、無常ですよ、

と教えてくれます。

「イライラ、イライラ、頭にくる!!」

と思っていても、

原因のその相手の方が、

「ごめんなさい」

と、謝ってくれた瞬間、

「いえいえ、私の方こそ、すいませんでした」

と、心は、すぐに変わってしまいます。

まあ、別に、相手が、

謝らなくても、

自分で、相手が謝った時と同じ感情、思いを、

自分で作り出せば、

イライラや、怒りは、自分で、すぐに、変えられる、

怒りを感謝になんて、

考え方、解釈を変えれば、すぐに変わる。

まあ、この「怒り」を「ありがとう」の気持ちに変えてくれる、

解釈の仕方を見つける、

心の持ちようを変える練習、訓練が、

どうも、修行、

というものらしいです。

日々、修行中です。

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あと、無我の意味も、よく分からなかったんだけど、

よく、仏教の本などを読むと、

自分一人だけでは生きて行けない、

人の助け、ご縁があるからこそ、生きていけるのだから、

感謝しましょうね、

みたいな感じで、よく言われたり、教え込まれたりする。

けど、

いまいちよく分からなかったんだけど、

毎朝、写経をして、解説の文章を読んで、

自分なりに、解釈していると、

なんか少しわかった感じ。

つまり!!

人間は酸素がなければ生きて行けない、

人間は外部世界があるから存在できる(=無我)、

と言うことになるので、

確かに、酸素がないと生きて行けない、

植物さんが光合成をして酸素を作ってくれるから、

人は存在できる、

確かに、植物さんたち、外部世界の皆さんのおかげで、

自分は存在できてます、

ありがとうございます、

と、言う感じになれた。

まあ、なんて、わたしは、一人で生きて行けるなどと、

本気で思っていたりなんかして、

努力すれば生きていけるし、結果も出してきた、

などと、思っていたわけでありまして、

非常にお恥ずかしいご自分んではありますが、

やっと、

私が存在できますのは、皆様、外部世界のおかげです、

外部世界とのご縁があるからこそ、

存在できるわけで、

そのお陰で、旅行を楽しんだり、

温泉に入って、気持ちよかったり、

ジェットコースターに乗って、

わざわざ、恐怖という感情を楽しめたり、

できるわけで、

皆様、ありがとうございます、

という気持ちになれたりなんかする。

吾輩は、外部世界の存在により、つまり、仏教でよく言われる縁起によって、

存在できるのである、

という事の様である。

けど、

「縁起によって生かされている」

という、よく言われるお言葉の意味までは、

まだまだ、全然、ダメなわけで、

理解できないわけで、

ちょろい人間な訳あります。

次の目標は!!

「生かされている」

の意味を理解することにあります。

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話がそれましたが、

まとめ

実体はどの様に定義されているか

実体=空でないものこと、つまり、無常でなく、無我でないものこと の様です。

ありがとうございました!