物事制限がなかったら、と考え、制限の有る今をみると、新しい意識になれるかも。
例えばテレパシー。
人間は昔テレパシーがあった、
と仮定してみると、
自分の考えは、
言葉を使わなくても、
全てを相手に伝える事が出来た。
全てである。
けど、今はテレパシーはほとんどの人はない。
朝の連ドラで、
女性はある男性を好きになって、
それから、ぎこちなくなり、
あまり話を出来なくなった。
男性は、
嫌われたのか、
と好きなので、
悲しくなった。
この現象は、
テレパシーがあったら、
起きない現象である。
ないからこそ、
こう言う勘違いによる、
悲しみ、緊張、喜び、
を体験できる。
何でも分かったら、
何の感情も起きにくく、
つまらない人生に。
自分は、勘違いが有るからこそ、
人生は豊かで、
楽しいかも、
と、思いました。
辛い、苦しい、
と感じても、
そう言う感情もなんにも感じない世界より、
感じれた方が楽しいよ!
と思えれば、
苦痛も苦痛ではなくなる。
よっし!
どうやって行こうかな!
と思って生きた方が楽しい。
制限がない世界を考えて、
制限の有る物理世界を観ると、
この世界って、
結構楽しいかも、
と新しい認知が生まれて、
楽しくなる、
と思ったりした。