今朝のお写経は!「是無上呪 ( ぜむじょうしゅ ) 是無等等呪 ( ぜむとうどうしゅ ) 」、つまり、常にそこにあり変わらない、自由自在にできる存在である神に伝える後に出てくる言葉(呪=真言=マントラと言う)は、極まる事のない、つまり、限りなく続く、永遠に完成しない言葉、マントラであり、また、同じものは存在しない、全ての人々に平等に与えられ持っている、神に伝える言葉(呪=真言)が、以下に述べるマントラである、と言う意味の様にも読めるんだけどな〜。
本日の写経は
枡野俊明 監修、岡田崇花 著の
の26日目。
「是無上呪 ( ぜむじょうしゅ ) 是無等等呪 ( ぜむとうどうしゅ )」
なのでした。
呪
というのは、常にそこにあり変わらない、自由自在にできる存在である、
神に伝える言葉
という意味らしい。
んで、
無上
と言うのは、極まるところがない、限度がない、つまり、永遠に続く
と言う意味らしい。
んで、
無等
は、同じものがない、
と言う意味。その後ろの
等
は、平等
と言う意味らしい。
すると、
「是無上呪 ( ぜむじょうしゅ ) 是無等等呪 ( ぜむとうどうしゅ ) 」
の意味は、
常にそこにあり変わらない、自由自在にできる存在、である神に伝える、
これから出てくる言葉(真言、マントラと言う)は、極まる事のない、
つまり、限りなく続く、永遠に完成しない言葉、マントラであり、
また、同じものは存在しない、全ての人々に平等に与えられ持っている、
常にそこにあり変わらない、自由自在にできる存在、
以下に述べるマントラである、
と言う意味の様にも読めるんだけどな〜。
ちなみに、この後に出てくる、般若心経のマントラは、
「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい) 波羅羯諦(はらぎゃてい )
波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶 (ぼじそわか)」
になります。
これが、
常にそこにあり変わらない、自由自在にできる存在、
である神に伝える言葉
になるものと、思えるんだけどな〜〜。
どんと晴れ。