苫米地英人さんの『般若心経』の超訳です。「心がすべてであり、すべてが心である」と言う東洋哲学。「電子は粒子でもあり波でもある」と言う量子力学の世界。この宇宙はどのような世界なのか、知る手がかりにしたいです。

お釈迦様が、修行僧たちと、止観瞑想をしていたときのことです。





観自在菩薩 (かんじーざいぼーさーつー)

行深般若波羅蜜多時 (ぎょうじんはんにゃーはーらーみたじー)

照見五蘊皆空 (しょうけんごーうんかいくう)

度一切苦厄 (どーいっさいくーやく)

止観に秀でた弟子の一人である若き日の観自在菩薩という修行僧が、
深遠な縁起の瞑想に成功し、すべてのものは「空」であると見極め、
一切の苦しみ、災厄から解放されました。

それを聞いて、シャーリプトラ(舎利子)は、お釈迦様に、
「このような完成された智慧般若波羅蜜多)を、
どのように伝えればよいのでしょうか」
と質問しました。





舎利子 (しゃーりーしー)
   
色不異空 (しきふーいーくう)

空不異色 (くうふーいーしき)
   
色即是空 (しきそくぜーくう)

空即是色 (くうそくぜーしき)

空包摂色(くうほうせつしき)

空包摂無(くうほうせつむ)

お釈迦様はこう答えました。
「シャーリープトラよ。
完成された智慧を学びたいならば、
次のように見極めなさい。

「物質」と「無」は異なるものではない。
「物質」と「無」は本質的に別のものではない。

「空」が「物質」を包摂し、
また、「空」は「無」を包摂する。
このように、「空」は、
「物質』と「無」の両方を包摂するものである。





受想行識 (じゅーそうぎょうしき)

亦復如是 (やくぷーにょーぜー)

同様に、心で感受したり、想起したり、
われわれの意識や認識もすべて「空」である。





舎利子 (しゃーりーしー)

シャーリプトラよ。
したがって、
以下のように教えなければならない。





是諸法空相 (ぜーしょーほうくうそう)

すべての現象は「空」である。





不生不滅 (ふーしょうふーめつ)

不垢不浄 (ふーくーふーじょう)

不増不減 (ふーぞうふーげん)

生じることも滅することも同じこと。
汚いこともきれいなことも同じこと。
増えることも減ることも同じこと。





是故空中無色 (ぜーこーくうちゅうむーしき)

したがって、「空」は「無」も「物質」(「有』)も、
そのなかに包摂している。






無受想行識 (むーじゅーそうぎょうしき)

他の五蘊も(受も想も行も識も)同様にすべて
「空」である。






無眼耳鼻舌身意 (むーげんにーびーぜっしんにー)

眼も耳も鼻も舌も身も意も
(視覚も聴覚も嗅覚も味覚も触覚も心も)
すべて同じである。






無色声香味触法 (むーしきしょうこうみーそくほう)

色も声も香も味も触も法も
(見えるものも、聞こえるものも、臭いも、
味も、感触も、感じるものも)
すべて同じである。





    
無眼界乃至無意識界 (むーげんかいないしーむーいーしきかい)

眼界から意識界に至るまですべて
(見ている世界から意識している世界まで
すべての世界は)
「空」である。






無無明 (むーむーみょう)
 
亦無無明尽 (やくむーむーみょうじん)
  
乃至無老死 (ないしーむーろうしー)
 
亦無老死尽 (やくむーろうしーじん)

迷いも「空」であり、
また、迷いが尽きるのも「空」である。
老死も「空」だし、
老死がなくなるのも「空」である。






無苦集滅道 (むーくーしゅうめつどう)

苦しみも、苦しみの原因を考えることも、
苦しみの原因をなくすことも、
苦しみの原因をなくす方法も「空」である。





  
無智亦無得 (むーちーやくむーとく)
 
以無所得故 (いーむーしょーとくこー)

智も「空」であり、
また何かを得ることも
得ないことも「空」である。
何かにとらわれることも「空」であり、
囚われない境地さえもまた「空」である。





菩提薩垂 (ぼーだいさったー)

般若波羅蜜多故 (えーはんにゃーはーらーみーたーこー)

修行僧はこの智慧の完成の境地を
拠りどころとしなさい。





 
心無罫礙 (しんむーけーげー)

無罫礙故 (むーけーげーこー)

無有恐怖 (むーうーくーふー)

遠離一切顛倒夢想 (おんりーいっさいてんどうーむーそう)

究竟涅槃 (くーきょうねーはん)

菩薩(修行僧)の心には妨げも「空」であり、
こだわりも、恐れも「空」である。
また、迷いから遠く離れているので、
涅槃(ニルバーナ=覚りの世界)に
至ることができるのだ。





三世諸仏 (さんぜーしょーぶつ)

般若波羅蜜多故 (えーはんにゃーはーらーみーたーこー)

得阿耨多羅三藐三菩提 (とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい)

現在、過去、未来に存在する
全ての仏陀(覚った人)も、
この深遠な智慧の完成を拠りどころにして、
この上ない完全な覚りの
境地に至ったのである」

以上が、お釈迦様の答えである。






故知般若波羅蜜多 (こーちーはんにゃーはーらーみーたー)

この摩訶止観の境地へといざなうために、
以下の智慧の完成のマントラが、
後に伝えられた。






是大神呪 (ぜーだいしんしゅー)

是大明呪 (ぜーだいみょうしゅー)

是無上呪 (ぜーむーじょうしゅー)

是無等等呪 (ぜーむーとうどうしゅー)

これは偉大なる智のマントラであり、
無上のマントラであり、
無比のマントラであり、
全ての苦しみを取り除く効果がある。
これは後の人たちの虚妄ではなく、
真実のマントラである。





能除一切苦 (のうじょういっさいくー)

真実不虚 (しんじつふーこー)

故説般若波羅蜜多呪 (こーせつはんにゃーはーらーみーたーしゅー)

このお経で述べてきたように、
マントラに力があるのではなく、
このマントラを唱える菩薩の止観による
智慧の完成に力があるのである。





即説呪曰 (そくせつしゅーわー)

それは以下のように伝わっている。





掲諦掲諦 (ぎゃーてーぎゃーてー)

波羅掲諦 (はらぎゃーてー)

波羅僧掲諦 (はらそーぎゃーてー)

菩提薩婆訶 (ぼじそわかー)

ガテー・ガテー
パーラガテー
パーラサムガテー
ボーディ・スバーハー
(ありたくないとありたいからこそあるのだ)




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以下の本の転載です。

一生幸福になる超訳般若心経

一生幸福になる超訳般若心経