目の前の世界は不思議=幻、と定義すると!

ビッグバンで爆発している境界を飛び越える。

その先は何?

我々の宇宙の外側は何?

その無限先は何?



分かりません。

不思議な世界です。




その不思議な世界の中に包含されている、

我々が住む世界は何?

あなたは誰?

自分は何者?

目の前の物理世界は何?


この目の前の世界は、




不思議な世界



です。





不思議な世界=幻




と定義するなら、

目の前の世界は、

我々が見ている目の前の世界は








となります。

目の前の世界は

まぼろし

です。


まぼろしは情報です。


だって、

まぼろしって、

物理的実在

じゃないでしょ?

我々の頭の中の脳が、

認識しているだけ。

脳が認識している世界は、

まぼろし




いろいろ、

人間は想像する。

ああなりた、

こうなりたい、

こういう人生を生きたい





と、想像します。

脳の中で、

イメージします。





それは、

今は、実現していない世界。

脳の中の世界。

物理的実在ではないんだから、



脳でイメージしていることは、まぼろし



我々の目の前の世界を認識しているのは、

脳です。

脳で認識しているんだから、


まぼろし


目の前の世界はまぼろし






ふむ。

脳で認識していることも、



まぼろし



っと、今、認識した。




人間によって、

見ている物理的現実世界は異なる。

窓を気にしている人の世界と、

iPhoneを気にしている人の、

今の認識している、

物理的実在と思っている世界は、

人間によって異なる。




脳で認識しているものは、

自我によって、

異なる。

これが大事!

と思っている人間の世界と、

あれが大事!

と思っている人間の世界は異なる。

つまり、

人間により評価しているものが違う。

違えば、

見えている世界も異なる。


自我が異なる。

自分の評価関数が異なる。

自分が大事と思っている部分関数が異なる。



ので、

人間が見ている世界は、

自我、評価関数、部分関数

によって異なる。




つまり、


それぞれの人間は、

別々な世界を見ている、

異なる世界を見ている、

異なる宇宙を見ている、



事になる。

こう考えれば、



物理的現実世界はまぼろし



だって、

人間によって見え方が違うんだから。

同じじゃないんだから、


まぼろし


と見てもいいんじゃない?

まあ、



目の前の世界は不思議

だから、

まぼろし




だし、


人間によって、

見えてる世界は異なるんだから、


まぼろし






結局この世界は、


まぼろし




脳で認識していることは、

情報。



脳で認識している世界も

情報。



なら、



この世界は

まぼろし

であり、

情報

である。




ふむ。

blogに書いていると、

頭が整理されて、

今まで認識できていなかったことが、

頭だけで考えていては認識できなかったことが、

blogに書くことで、

認識に変わる。



と、思った。