小学生までは早く起きて遊びたい!けど、中学時代から早起きしたくないし昼寝したい。その理由を今、じっくり考えていくと、やっぱり、やりたくないことをガンガンやり始めたのが、ちょうど中学生くらいからだったんですね。 勉強に、ハードな部活に、きっちり順位の出る定期試験ですね。笑
今日教えてもらったblog。
なかなか素晴らしいな〜〜
と思ったので、
転載します。
河村草人ブログです。
http://fakespearsojin.seesaa.net/article/214817124.html
昼寝をしない子供
僕は、小さい頃、昼寝をしない子供だったんですね。
特に、幼稚園に入ってから中学校に進学するまでは昼寝は全くしませんでした。
いつも、母や弟がソファーで昼寝しているのを見て、
「みんな寝てて退屈だな〜(゚Д゚;)」
と思っていました。
「寝るぐらいなら、どっか遊びに行きたい!」
と、思っていたんですね。
しかしですよ、中学生くらいから、その気持ちが変わってきたんです。
朝は起きたくないし、スキあらば昼寝をしたいと思うようになったんです。
で、その理由を今、じっくり考えていくと、やっぱり、やりたくないことをガンガンやり始めたのが、ちょうど中学生くらいからだったんですね。
勉強に、ハードな部活に、きっちり順位の出る定期試験ですね。笑
そうやって、やりたくないことをやり続ける日々が繰り返されれば、そりゃ、毎日がつまらなくなりますよね。僕の場合、そうやって、毎日がどんどんイヤになっていきました。
それに伴い、がっつりと昼寝をするようになりました。朝も起きたくないし、起きれなくなっていきました。
そうこうする内に、高校では、学年の遅刻常習犯ランキングの3位にランクインしました。笑
僕の高校では、その当時、遅刻を撲滅する為に、月ごとに遅刻のランキング表をつくり、学年全体に配るという、素敵すぎる習慣があったんですね。笑
ちなみに、1位と2位は、僕の親友とその彼女でした。爆
こんな感じで、僕にとって、いやなことをし続ける毎日は、高校、大学、社会人と続きました。
さっさと、そんな、いやなことばかりをする生活から抜け出せばよかったんですが、その頃の僕にはできなかったんですね。
なぜかと言うと、やはり、少しでもいい大学、少しでもいい企業に入らなければならないという、漠然とした固定観念が自分の中に定着していたのです。今はその様な固定観念は完全に捨てましたが、当時はいやだと思いながらも、やっぱり、そうするしかないという様な無力感を感じていました。
僕は覚えているのですが、幼稚園くらいの小さい頃は、いつも両親に早く起きて欲しいと思っていました。
特に土日は、朝目が覚めると、早く家族みんなにも起きてほしくて、いつも親父を起こしにいっていました。
それが、大人になるにつれて、すっかり、朝の起きれない、昼寝をたっぷりしたいと思う人間になっていたんですね。
こうやって、年をとるごとに、どんどん体が重たくなっている人って、僕は本当に多いと思うのです。
やりたくないことを毎日毎日、毎日!やりつづけているから、当たり前と言えば当たり前なんですがね。
でも、やりたくないことをやり続ける、その行為を支えているのは、僕たちが子供のころから知らぬ間に植えつけられた固定観念なんですよね。努力、忍耐、我慢は素晴らしいという固定観念。
自分の固定観念が、やりたくないことをやりつづける自分の精神を支えているんですよね。
でも、この固定観念を持ち続けている内は、ずっと、ずーっと、しんどいんです。
そして、人生の答えが見つからないんです。
僕思うんですけどね、精神世界系のセミナーとかにいくと、50代とか、60代の方々が、たくさんいて、
「人生も一周したので、そろそろ自分の生きる意味や使命みたいなものを探そうかなと思ってここに来ました。」
と言うんですよ。
でもね、自分の生きる意味とか、人生の使命って、50代とか60代っていう、人生の後半になってから探し出すものでもないと思うんですよ。それが悪いことだと言っているわけではありませんよ。むしろ50代、60代からでも、人生を見つめだすというのは、本当に素晴らしいことだと思うのです。でも、もっと早い年齢の内から、そういうものを探していくことが出来る世の中になればもっと素晴らしいと思うんですよね。
50代、60代になって、自分の人生の意味を探し始めるということは、それまでの人生は、本来の自分として生きてきたわけではないという意味にもとれてしまうわけです。
実際には、僕も含めて、こういう人が大半だと思うのですが、要はですよ、やりたくないことをやり続けてるからこそ、50年も、60年も人生を過ごしても、自分の生きる意味とか、自分の使命とかは、分からないということを、その人たちが教えてくれているのだと僕は思うんです。
自分も、やりたくないことをやりつづければ、50年でも、60年でも、人生の意味なんて見つからないよと、その方々が、教えてくれているということだと思うわけです。
(※生意気な表現をお許しくださいね。)
自分のやりたいことをやりだして、初めて、本当の自分の人生が始まり、自分の生きる意味や、自分の使命が見えてくるのだと思います。
やりたくないことを、我慢しながら、努力しながら、忍耐しながらやっていても、いつまで経っても、自分の人生とは何かということが見えてこないということですね。
何週間か前、ある新聞に載っていたのですが、僕たちが小さいころ、親に言われていたのは、努力しなさいとか、我慢しなさいとかいう言葉だったようなんですが、最近の子供は、自由に生きなさいとか、やりたいことをやりなさい、とか、空気を読みなさいと言われて育てられているようです。
つまり、今の子供たちは、小さいころから、自分のやりたいことを探しながら生きていくことができる環境になりつつあるということですよね。どんどんよくなっていると思うのです。
ということは、少なくとも、今、子供として過ごしている子達は、大人になったとき、僕の世代にくらべると、精神的な成長というのが半端なく、高いレベルに到達していると思うんです。
抑えてけられて、思考を停止させられて育った僕以上の年代に比べ、自ら思考し、人生を考えていくということを、自然と親から言われているわけですから。
ですので、今の子供たちが大きくなった頃には、僕らの世代ほど体が重くなっている人は少ないと思います。なぜなら、自分のやりたいことをやって生きていきなさいと、親が言ってくれているからです。親がそう言ってくれれば、子供心には、少しは人生が楽しくなりますよね。子供にとって親の存在は大きなものですから。
逆に、僕の世代から上というのは、これから先、心のリハビリが必要だと思うのです。
子供の頃、毎朝起きるのが楽しくて、家族みんなにも早く起きてほしいと思っていたあのころの感覚こそが、本来の豊かな人生を送る上での基礎になると思うのです。
なぜ自分は朝、起きれなくなってしまったのか、今の自分は、なぜ、朝起きることがつらいと感じるのか。なぜ、こんなにも昼寝が好きなのか。今一度見つめなおしていくことが必要だと思うのです。
これからしばらくして、資本主義社会は崩壊していくと思います。
資本主義社会が崩壊すると伴に、新しい価値観が生まれてくると思います。
新しい時代の価値観とは、新しい世代の子供たちが作っていきます。それらは、努力、我慢、忍耐を手放した新たな価値観を土台にしていくと思います。人々が自由に生き、一人一人が輝きながらも、全体として調和していくという素晴らしい世の中になっていくと思うのです。なぜなら、今の親は、こどもに、やりたいことをやりなさい(自分らしく自分を輝かせなさい)、そして、空気を読みなさい(人々と協調していきなさい)といいながら育てているからです。
今、資本主義経済社会の副作用として、すっかり体が重くなってしまった多くの人々は、これから意識の変容が必要になってくると思います。
と言っても、意識の変容というのは、それほど難しいことではありません。自分の固定観念を見つけ出し、不要と感じればそれを手放せばよいだけです。
自分の固定観念にメスを入れ始めることが大切かと思います。
日常のあらゆる苦悩は、自分の固定観念に基づいています。
不要な固定観念を捨て、光り輝く朝を毎日迎える人生を再び取り戻していく時代が近づいていると思います。