今朝のお写経は!「無苦集滅道 無智亦無得」つまり、もともと般若心経は、人々の迷いや怒ることによる苦しみや、思い通りにならなくて苦しんだりするけど、この人々の苦しみは、どこから来て、そこから抜け出すには、どのように世界を認識して、物事を捉え、考え、生きていけば、迷いや苦しみのない彼岸の世界として、この世界にとどまりながらも、穏やかに生きて行けるか、その方法を教えているのが、般若心経であり仏教である、と言うことらしいですが、その方法の一つが、この部分らしい。

本日の写経は

今朝の般若心経の写経は 枡野俊明 監修、岡田崇花 著の

書き込み式 ボールペン「般若心経」練習帖

の17日目。

今朝は、

「無苦集滅道 無智亦無得」

でした。

今朝、この本の解説を読みながら、

考えていたんだけど、

もともと、今、何をしているんだっけ?

この部分は、なんのために、書かれているんだっけ?

と、意味が、意義がなんか、分からなくなってしまったので、

もともと、般若心経って、なんだっけ?

なんのためのお経だっけ?

などと、思ってしまい、

振り返って、見てみたら、

表題の様に、

「もともと般若心経は、人々の迷いや怒ることによる苦しみや、思い通りにならなくて苦しんだりするけど、この人々の苦しみは、どこから来て、そこから抜け出すには、どのように世界を認識して、物事を捉え、考え、生きていけば、迷いや苦しみのない彼岸の世界として、この世界にとどまりながらも、穏やかに生きて行けるか、その方法を教えているのが、般若心経であり仏教である、と言うことらしいですが、その方法の一つが、この部分らしい。」

と言うことを再認して、本日の、

「無苦集滅道 無智亦無得」

を、みてみると、

お釈迦さんが、教える、この世界の真実、つまり、苦しみの原因や苦しみから

抜け出す方法が、

苦集滅道

の部分で、これを四諦(したい)と定義したらしい。

つまり、

苦:思い通りにならない事を「苦である」と定義しているので、

人生は苦である。これを意味しているのが「苦」

集:この世界は空=無常無我であると言う真実を知らなかったり、

思い通りにならなくて怒り苦しむ、と言う思いに、頭にくる、

と思い続ける、つまり、執着する、とらわれる、その思いを手放さないで、

がっしりと、握りしめて離さない、つまり、これを「欲」とか「煩悩」

と言うけど、この、怒る気持ちを握りしめて離さない事が、

苦しみの原因ですよ、と言っているのが、「集」の意味らしい。

滅:このがっしりと怒りを握りしめて、離さないと言う、欲、煩悩、執着、

とらわれ、をやめなさい、さっさと手放しなさい、煩悩を手放しなさい、

そうすれば、苦しみから解放されますよ、平穏な気持ちで日々を

暮らせますよ、

その様な世界観が悟りの境地ですよ、と言っているらしい。

さらに、この世界は空=無常無我である事を、よく理解しなさい、

よく考えなさい、そうすれば、皆さんの苦しみは無くなり、

苦しみを滅する事が出来ますよ、と言うのが、お釈迦さんの教える、

この世の真理の一つらしい。

道:お釈迦さんの教える八つの正しい道、生き方(八正道)で

暮らしていけば、苦しみは滅して、心穏やかな悟りの境地に達し、

この苦しみの世界の中にいながらも、穏やかに生きて行けますよ、

と言うのが、「道」、らしい。

以上の苦集滅道、つまり、四諦と言う真理を話しておきながら!!

苦集滅道の前に「無」と書いて、つまり、

無苦集滅道

と、書いて、

さらに、しかしながら、この教え自体にもとらわれず、

執着しないで、さらにこの教えを、真理を超えて、

その先に前進しなさい、成長しなさい、

と言っている模様。

おいおい、マジですか?

と思うのだけど、

お釈迦さんの教える四諦と言う真理も、

良いのか悪いのか分からないから、

さらに、考えて、前に進め、

と言うことか?

お釈迦さんの更にその先へ、進め、

と言っている模様。

とは言っても、お釈迦さんは全て承知の上で、

世界を理解しながらも、お釈迦様のみている世界に、

更に、近づけるために、言っているような気もするな〜〜。

まあ、いいや。

んで、更に、なんと!!

無智亦無得

つまり、

無智:この世界は空=無常無我の世界である、縁起の世界、縁によって

物事は起きる、生じる、と言うお釈迦さんの理解した、示した、

空の考え方(智)それ自体も、更に、人々よ、超えて、

その先に向かって、前進せよ、

と言っているらしい。おいおい、マジですか!!と言う感じですが、

はたまた、更に、

無得:空、縁起である事を理解し、苦しみのない平和な心が得られるという、

ご利益、ありがたい、平穏という心が得られるというご利益、さえも、

超えて、つまり、平安が得られなくても、それにこだわらず、

執着せずに、前進せよ、超えて進め、

と、言っているらしい。

まあ、確かに、必ず平穏な心で居られない場合もあるから、

まあ、それが現実だから、平和な気持ちを得られなくても、

そのご利益を得られなくても、よしとしなさい、

執着しなさんな、

と、言っているらしい。

つまり、なんと!!

「今まで学んだ、この世界、森羅万象は空=無常無我であるという現実、

真理、智慧さえも、超えなさい、更新して行きなさい。

そして、平穏が得られるというご利益がなくても、

ご利益を得ようと、平穏な心を得たいという思いも、投げ出して、

とにかく、前に進め、前進せよ」

と、言っているらしい。

おいおい、マジですか、せっかく、この苦の世界で生きていくための

お釈迦様の教えを理解して、

やっと、平和な気持ちで、生きられるなと、

喜んでいたら、

いやいや、そうじゃないですよ、まだまだ、勉強が足りませんよ、

このお釈迦さんの教えを、さらに、各自、一人一人、超えて、

成長せよ!!

と、言っちゃうんだから、え〜〜〜〜!!

と、思っちゃった訳であります。

が、まあ、これも、真実といえば、真実なんだろうな、

と思う本日でありました。

どんとはれ。