今朝の写経は!「無眼耳鼻舌身意」つまり、我々人間が苦しんだり、悩んだり、喜んだり、つまり、心の揺れが生じる理由は、五感、例えば、視覚に入ってきた外部の情報によって、つまり、外部世界からの影響を受け取る感覚器官(五感)によって、例えば美しい花をみると、綺麗だな美しいな、と言う感情(意)、つまり、心が揺れる。なので、「怒り」を感じる情報が五感から入ったも、「怒り」と言う認識をするのではなく、別の感情が生まれる認識(意味付けを変えて)になる様に、認識の作用を超えなさい、この先こそが悟りである!らしい!
今朝の般若心経の写経は
枡野俊明 監修、岡田崇花 著の
の12日目。
「無眼耳鼻舌身意」
であった。
ふむ。
なんか、すごい。
我々人間の心の揺れ、心の乱れ、怒り、喜び、苦しみ、楽しい、
などの感情、つまり、心の揺れは、
人間の感覚器官、つまり、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の
五感に入ってくる、外部世界の情報によって、
心の揺れ(意根と言うらしい)が、生じる。
つまり、
五感から受けた情報に対して、「美しい」とか、「汚い」とかの、
判断が、必ず、人間はするらしい。
だから、そういった人間の判断という認識の作用を超えていきなさい、
と言っているそうです。
その六根(五感+心(意))を超えていった先に、
悟りの境地がある、
のだそうです。
なんか、すごいね。
心の揺れを超えたところに、心の揺れを制御できる様になった先が、
悟りの世界、
という事ですよね。
すごいな。
つまり、
悟りの定義は、
「五感から入ってくる外部世界からの情報に惑わされず、
心が常に静まった状態を超えた、その先の世界を悟りという」
とまあ、全くの、初心者ですが、
この著者の説明から、判断される悟りの定義は、
こうなるのである。
が、しっかし、どうも、悟りへの道は、永遠に続くらしく、
これ以外の定義も、沢山ありそうなのであるが、
まあ、本日のみからの結論は、こうである。