仏教の空(=無常無我)を理解すると、一切の苦しみや災難を克服できるんだって!!

という事らしい。

今朝は、

書き込み式 ボールペン「般若心経」練習帖

の5日目。

「度一切苦厄」

である。

仏教では、

「全ての人間は、思い通りにならないと言う苦しみ、

息が詰まるような閉塞感を、

抱えながら生きている」

ようである。

確かに、

人間みんな、お思いどりに生きてる人は恐らくいないと思うので、

確かに、全ての人間は、思い通りにならない(欲が叶わない)という、

世界の中に存在している、

と言うのは、確かっぽい。

これが、

「度一切苦厄」

「苦」

の説明。

んで、厄、と言うのが、

「全ての人間は、息が詰まるような閉塞感を抱えながら、生きている」

と言うことを意味するらしい。

まあ、苦の世界にいれば、

まあ、確かに、思い通りにならないから、

は〜〜、大変だな〜、

なんて言う感じの、叶わないな〜、

と言う感じの、諦めというか、

閉じられている感じの、

閉塞感を抱えている、といえば、そうかも。

もう少し、考える必要あるかも、自分。

しか〜〜〜〜〜〜〜〜し!!!

宇宙はどうなっているかを表している、

空=縁起=無常無我

の概念を理解すると!!

「一切の苦しみや息が詰まるような思いから解放され、

安らかな心になって、生きていける」

らしい。

が!!!

いまいち、分からないのです、わたくし。

まあ、様々、考えてみると、

人は、外部世界との相互作用、つまり、外部の酸素を取り込んだり、

二酸化炭素を出したりして、

外部世界と必ず相互作用をしている。

つまり、おそらくこれを、

「縁」

というのだと思います。

すると、どうしても、全ての人間は、

外部世界、他の人々と、相互作用しながら、

ご縁の中で、生きていくしかないのであります。

つまり、

無我=外部世界が存在するから自分は存在できる=自分一人では、生きて行けない(一般的な言い方)

という事になります。

んで、

無常=全ては常に変化し続けている

というのが、我々の宇宙なので、

(はい、これは、確かに、わかる気がする)

宇宙とは、

常に変化し続け(無常)、

外部世界と相互作用を必ず行なっている(無我)

ので(これを「空」というらしい)

すると、

誰かが、何かを、行動したり、発言したりした瞬間、

相互作用によって、

自分にも、相互作用して、

自分は外部から影響を受ける。

受け続ける、

という事になる。

まあ、これは、物質の結晶の格子振動、つまり、

物質は原子が凝集して塊になった物で、

原子同士は、バネのような伸び縮みするバネで、

結合していて、

片方の原子が離れると、

バネが伸びるから、

隣の原子は、引っ張られて、

力を受けて、つまり、

隣の原子の影響を受ける。相互作用を受ける。

という事になる。

だから、

思い通りにならない苦しみや悩みが生まれるのは当たり前なのだから、

その世界で、どの様に考えて生きて行けばいいかを、

考えて、いきなさい、

すると、

苦しみや迷いのない世界(彼岸というらしい)として、

生きられますよ(度一切苦厄)

という事らしい。

「度」は苦しみのない世界(彼岸)に渡る、を意味するらしい。

「一切」はそのまま「全て」を意味するらしい。

つまり、

「度一切苦厄」

全ての苦しみや閉塞感は、瞑想により空を理解できたので、

全ての苦悩を招くとらわれ、考え、こだわりから、

自由になれて、苦しみの無い世界(彼岸)として、

目の前の世界を認識できる様になりました、

という事の意味らしい。

なんだか、

お互いに相互作用し合うのは免れないし、誰かが何か動くと、

影響を必ず受けるので、

そして、常に、変化、誰かが、常に何か行動をするので、

常に、変化する、

という世界なのだから、これを空というのだから、

我を出して、こうしたい、ああしたい、

絶対こうだという、とらわれ、煩悩、欲を手放して、

諦めて、

無常無我の世界なのだから、 しかたなねと、考えて、

うまく生きていきなさい、

ということか?

けど、

うまく生きていきなさい、

って、どういう生き方?

って、なるんだけど、

そのうまく行く生き方、とらわれなく生きていく、

悩みのない、考え方、というのは、

こうですよ、

とお釈迦さんが言っているらしく、

その方法は、六波羅蜜?など、

この後の、般若心経で出てくる、

のであるが、

いまいち、まだ、??

なのであった。