今朝のお写経は!「乃至無老死 亦無老死尽」つまり、老いるのは嫌だ、生きるのが苦しい、死ぬのが怖い、など、苦しみの中に留まるのではなく、もともとこの世界は空、つまり、無常無我、つまり、常に移り変わり酸素があるから外部世界があるから人は存在できるのだから、老いなどで苦しむのが自然の道理なのだから、苦しむ必要はなく、苦しみを超えて、その経験から始めて得られる学び、魅力を身につけよ!と言う事らしい。
本日の写経は
今朝の般若心経の写経は 枡野俊明 監修、岡田崇花 著の
の16日目。
まあ、いちを、毎朝、写経は続けているのですけれど、
bogに書けなかったので、
飛び飛びの内容になってしまっております。
と言うことで、
今朝は、
「乃至無老死 亦無老死尽」
でした。
無
とは、
「こだわらない、とらわれない、超えて前進せよ。
老いるのは嫌だ、死ぬのが怖い、と言う、苦しみの中に留まらず、苦しみを超
えて、前進せよ」
みたいな感じ。
もともと、我々が存在している世界は、自分の思う様にならない世界、
つまり、苦の世界なのだから、
しかしながら、常にうつろいゆく無常の世界なのだから、
喜びや感動もうつろいの中で現れてくる、というか、
自分の心の持ちようで、美しい、楽しいと、自分の心で
感じ方を制御できるものなのだから、
老いるのは嫌だとか、自分の思い通りにならなくてイライラするとか、
頭にくるとか、と言う苦しみの中にとどまるのではなく、
その苦しみを超えて、前進、成長せよ、
と説いている模様です。
もともと、私たちのお身体も、社会の中で生活している、この世界は、
空=無常無我
の世界で、ご縁のある世界でしか生活、存在できないのであるから、
老死や怒りやいらだち、などにわざわざ、それを考え続けて、
心を苦しみの世界に自分からとどまらせるのではなく、
その思いに、こだわらず、執着せずに、そこから離れて、
前に進み、前進せよ。
もともと、そういう世界、空なる世界なのだから、
怒りなどにとらわれて、苦しむ必要はない。
つまり、
老死や怒りなどの苦しみが尽きる世界を求めるな、
この世界の中で、自らを由りどころ(自由という)にして、
サイのツノの様に、ひとり前に進め。
とのことらしい。
全てが空、移り変わるものだから、わざわざ、自分を苦しめる、
苦しみの中にとどまる必要など無い!!
である。
「はい、了解しました!お釈迦さま!」