空を理解すると悩み苦しみから解放されるらしいけど、その空とは、無常無我とは何か、を具体例を挙げて、説明していくところが、舎利子からかな?

今朝は、

6日目。

舎利子 色不異空 空不異色

枡野俊明 監修 岡田崇花 著

書き込み式 ボールペン「般若心経」練習帖

である。

空=無常無我を理解すると、

悩みや苦しみから解放される

らしいけど、

具体的に、空とは何かを、説明していくのが、

ここからっぽい。

舎利子さんは、お釈迦さんの十大弟子のお一人。

この書籍では、

舎利子は、智慧第一と言われるくらい秀才なのだけど、

優秀すぎて不遜な面もあったので、

観音様を通して、舎利子に、説明している、

らしい。

けど、この部分は、いろいろな解釈があって、

十大弟子の舎利子に、まだまだお若い菩薩さんが、

説明するのは、違うのでは?

との見方もある様です。

苫米地英人さんの解釈は、

*****

止観に秀でた弟子の一人である若き日の観自在菩薩という修行僧が、

深遠な縁起の瞑想に成功し、すべてのものは「空」であると見極め、

一切の苦しみ、災厄から解放されました。

それを聞いて、シャーリプトラ(舎利子)は、お釈迦様に、

「このような完成された智慧般若波羅蜜多)を、

どのように伝えればよいのでしょうか」

と質問しました。

*****

gajyusan.hatenablog.com

となります。

色々、まだ、はっきりとわかっていない部分なのですね。

これだけ普及している、

般若心経

だけど、まだ、未解明な部分があって、

これを理解するという、学問が、

まだまだ、これからも、広がっていきそう。

学べば学ぶほど、まだまだだな、

なのである。

この部分は、かなり、見解が異なる部分も多く、

世界で合意されている訳ではない様なので、

まずは、置いといて。

んで、

目に見える物質(身体など)は、空=無常無我=縁起 ですよ

この本んでは、

「形あるものは移ろいゆき、様々な縁によって、今あります」

と言っているのが、

色不異空

らしい。

まあ、確かに、例えば、自分の体は、心臓が動いて、血液が

流れ続けているから、変化し続けているから無常である

ことは、その通りかと。

んで、

空=無常無我=縁起は、物質(色というらしい)ですよ、物質と同じですよ

この文献では、

様々な縁があり、移り変わるからこそ、形あるものがあります

と言っているのが、

空不異色

らしい。

この部分も、様々な解釈というか、矛盾点があるらしい。

空=無常無我=縁起という概念は、

言語学的にみると、

物質や身体とは、抽象度が異なるもので、

物質という概念と空という概念は、

言語学的に、人工知能で文章を解釈させる時に、

異なる抽象度のところにあって、

色と空を同じ抽象度で、同じレベルで、取り扱える言葉、概念

ではない、というものらしいので、

まだまだ、未解明な部分らしい。

いやはや、般若心経でさえ、

これだけ、何百年も、続いている般若心経でさえ、

まだまだ、未完成な部分がある、

なんて、なんか、ものすごく、楽しいいですね!

未解明な部分、バイザイであります!

解明できるチャンスがある!!

と思うと、チャレンジできるので、楽しいのであります。

分析哲学では、

猫とか犬などの上の、共通する概念は、動物(ペットなど)なので、

猫、犬の上位概念は動物(ペットなど)になります。

動物という概念の下に、犬、猫がある。

つまり、

空は、最も上位の概念らしいので、

その下位概念が色や受想行識であるので、

空と色を同じ概念で表していいのかな?

と、意見を述べられているのが、

苫米地さんです。

すいません。

わたくし、苫米地さんを基準に考える様にしておりまして、

それと、異なると、ん?????

となってしまいます。

すいません、著者様。

すいいません、もう、ついでなので、

自分の頭の整理のためにも、

少々続けます。

犬とか猫とかの共通する言葉(概念)は、動物やペットという、言葉(概念)

になります。

すると、

ペットとか動物、という言葉を発したら、その言葉の示す意味は、

猫、犬、マウスなど、多数のものが含まれます。

なので、全体をざくっと大括りで話したいときは、

ペット

という言葉、概念を使えばいい様です。

ここで、

犬、猫、マウスのことを下位概念

ペットのことを上位概念

と言うらしい。

こう考えると、様々な事が便利になる。

苫米地さんがよく使うのですが、

ポルシェのエンジンを開発するときに、

911のエンジン

ケイマンのエンジン

は、下位概念、

ポルシェのエンジン

は上位概念。

ポルシェのエンジンを設計するプログラムを開発さえしてしまえば、

パラメータを変えただけで、

911のエンジンになったり、

718ケイマンのエンジンにしたりできる。

つまり、上位概念のプログラムを作ると、

簡単に?下位概念のものへ対応できるから、

いいですよ。

研究開発もスムーズに効率よくできますよ、

と言うことみたいです。

なんだか、六日目の説明が不明瞭ではありますが、

本日は、こんな感じです。

書くと、自分の頭も、整理されて、

なんか、ブログ、思いつくまままの、

記録は、結構、新たな気づきで、

楽しいものかな?

仏教の空(=無常無我)を理解すると、一切の苦しみや災難を克服できるんだって!!

という事らしい。

今朝は、

書き込み式 ボールペン「般若心経」練習帖

の5日目。

「度一切苦厄」

である。

仏教では、

「全ての人間は、思い通りにならないと言う苦しみ、

息が詰まるような閉塞感を、

抱えながら生きている」

ようである。

確かに、

人間みんな、お思いどりに生きてる人は恐らくいないと思うので、

確かに、全ての人間は、思い通りにならない(欲が叶わない)という、

世界の中に存在している、

と言うのは、確かっぽい。

これが、

「度一切苦厄」

「苦」

の説明。

んで、厄、と言うのが、

「全ての人間は、息が詰まるような閉塞感を抱えながら、生きている」

と言うことを意味するらしい。

まあ、苦の世界にいれば、

まあ、確かに、思い通りにならないから、

は〜〜、大変だな〜、

なんて言う感じの、叶わないな〜、

と言う感じの、諦めというか、

閉じられている感じの、

閉塞感を抱えている、といえば、そうかも。

もう少し、考える必要あるかも、自分。

しか〜〜〜〜〜〜〜〜し!!!

宇宙はどうなっているかを表している、

空=縁起=無常無我

の概念を理解すると!!

「一切の苦しみや息が詰まるような思いから解放され、

安らかな心になって、生きていける」

らしい。

が!!!

いまいち、分からないのです、わたくし。

まあ、様々、考えてみると、

人は、外部世界との相互作用、つまり、外部の酸素を取り込んだり、

二酸化炭素を出したりして、

外部世界と必ず相互作用をしている。

つまり、おそらくこれを、

「縁」

というのだと思います。

すると、どうしても、全ての人間は、

外部世界、他の人々と、相互作用しながら、

ご縁の中で、生きていくしかないのであります。

つまり、

無我=外部世界が存在するから自分は存在できる=自分一人では、生きて行けない(一般的な言い方)

という事になります。

んで、

無常=全ては常に変化し続けている

というのが、我々の宇宙なので、

(はい、これは、確かに、わかる気がする)

宇宙とは、

常に変化し続け(無常)、

外部世界と相互作用を必ず行なっている(無我)

ので(これを「空」というらしい)

すると、

誰かが、何かを、行動したり、発言したりした瞬間、

相互作用によって、

自分にも、相互作用して、

自分は外部から影響を受ける。

受け続ける、

という事になる。

まあ、これは、物質の結晶の格子振動、つまり、

物質は原子が凝集して塊になった物で、

原子同士は、バネのような伸び縮みするバネで、

結合していて、

片方の原子が離れると、

バネが伸びるから、

隣の原子は、引っ張られて、

力を受けて、つまり、

隣の原子の影響を受ける。相互作用を受ける。

という事になる。

だから、

思い通りにならない苦しみや悩みが生まれるのは当たり前なのだから、

その世界で、どの様に考えて生きて行けばいいかを、

考えて、いきなさい、

すると、

苦しみや迷いのない世界(彼岸というらしい)として、

生きられますよ(度一切苦厄)

という事らしい。

「度」は苦しみのない世界(彼岸)に渡る、を意味するらしい。

「一切」はそのまま「全て」を意味するらしい。

つまり、

「度一切苦厄」

全ての苦しみや閉塞感は、瞑想により空を理解できたので、

全ての苦悩を招くとらわれ、考え、こだわりから、

自由になれて、苦しみの無い世界(彼岸)として、

目の前の世界を認識できる様になりました、

という事の意味らしい。

なんだか、

お互いに相互作用し合うのは免れないし、誰かが何か動くと、

影響を必ず受けるので、

そして、常に、変化、誰かが、常に何か行動をするので、

常に、変化する、

という世界なのだから、これを空というのだから、

我を出して、こうしたい、ああしたい、

絶対こうだという、とらわれ、煩悩、欲を手放して、

諦めて、

無常無我の世界なのだから、 しかたなねと、考えて、

うまく生きていきなさい、

ということか?

けど、

うまく生きていきなさい、

って、どういう生き方?

って、なるんだけど、

そのうまく行く生き方、とらわれなく生きていく、

悩みのない、考え方、というのは、

こうですよ、

とお釈迦さんが言っているらしく、

その方法は、六波羅蜜?など、

この後の、般若心経で出てくる、

のであるが、

いまいち、まだ、??

なのであった。

結局は、仏教も宇宙は空(無情無我)で虚しいと解釈するのでは無く、苦のお陰で成長できると、ポジティブ思考で生きなさい、と言っている模様です。

今朝の写経で気がついた事は、

書き込み式 ボールペン「般若心経」練習帖

の29ページに書かれていることで、

宇宙は空であり、移り変わる無常の世界だけど、

虚しいとは考えずに、

移り変わるが故に、無常であるが故に、

美しく、尊いと考えて、

プラス思考で積極的に生きなさい、

と般若心経は教えています、

との事です。

老いることは苦の一つだけど、

若い時は我が強く、角がたくさんあるけど、

老いてくると、たくさんころがって、角が取れて丸くなってきて、

なんだか、深みとか厚みが出てきて、

老いるっていいね!!ルンルン!!

と、ポジティブに解釈して積極的に生きていきなさい、

と教えてくれている模様です。

無常は寂しい、虚しい

と捉えないで、

無常である世界に存在できているお陰で、

変化でき、成長でき、ありがたや、ありがたや、

と考えて生きなさい、

との事です。

ふむふむ、

般若心経、恐るべし。

写経、恐るべし。

仏教、恐るべし。

ありがたや〜、ありがたや〜。

苫米地英人さんの「実体」、「実在」、「存在」の言葉の違いは!!??

わたしは良く苫米地英人さんの本をよく読ませて頂いておりますが、

哲学などを学んできた方々にとっては、

当たり前の言葉なのかもしれませんが、

私は、この、3つの言葉の違い、

実在、存在、実体

の違いがわからなかったのでありますが、

少し、分かってきたような気がします。

***

よく苫米地さんは、

この世界は空であり、実体がない、

と、よく述べられているのですが、

実体がない、とはどういう意味かは、

先ほどのブログ

仏教における実体の定義は、常に移り変わらず(無常でない)、外部世界に依存、関わらなくても、単独で存在できる(無我でない)もの、事を、「実体がある」と定義している模様です。 - とある博士のおりゃっ!日記

に書きましたように、

実体がない=空である、無常で無我の世界である

我々の住んでいる宇宙は、空である、つまり、無常無我の世界である

事のようです。

あと、よく、苫米地さんは、

「実在と存在」

と言う言葉を、よく使用されますが、

実在は物理空間に存在していること、

存在は情報空間に存在していること、

と言う意味で定義して、使用されている様です。

水は実在できるけど、幽霊は存在できるが、実在ではない

とのお言葉。

心の中の世界では、つまり、情報空間という心の中の世界では、

幽霊は存在できるけど、実際に、見ている人はたくさんいるので、

本気で私は見ました!!と思っている人にとっては、

本気で存在している

のであって、存在していてもいいのだけれど、

けど、それは情報空間にだけ存在できるものであって、

物理空間に幽霊が存在しているわけではない、

という事も、お話しされていて、

ふむふむ、

「実在、存在、実体」

と、なんだか、やっと、言葉の意味が、定義が、

わかってきた感じで、

我々が住んでいる宇宙について、

ちょっと、わかってきたかなという感じです。

なんだか、少し理解できた感覚って、

楽しいものです。

「分かった!」「できた!」

この瞬間を、学生の皆さんにも、たくさん経験してほしいと思いながら、

日々、お仕事をしておりますが、

まだまだ、ダメダメで、

日々、精進、精を出して進んでいく必要があるのであります。

おわり。

仏教における実体の定義は、常に移り変わらず(無常でない)、外部世界に依存、関わらなくても、単独で存在できる(無我でない)もの、事を、「実体がある」と定義している模様です。

ず〜〜〜〜っと、

実体ってなんだ?

と、分からないでいた。

仏教を勉強していたり、

苫米地英人さんの本などで、

実体がない

などの言葉を、よく見たり、聞いたりするのですが、

実体ってなんだ?

と、ず〜〜、っと分からないでいたんだけど、

やっと、わかった気がします。

この本

書き込み式 ボールペン「般若心経」練習帖

の28ページを、今朝、読んで、写経していたのですが、

やっと、理解できたような気がします。

つま〜〜〜〜り!!

「実体がある」、とは、どの様に定義されているかと言うと、

**「常に移り変わらず(無常でない)、

外部世界に依存、関わらなくても、

単独で存在できる(無我でない)ものや事」**

の、様です。

28ページは、

「照見五蘊皆空」

の意味の説明だったのですが、

その意味が、

「私たちの肉体も、精神も、

皆空(実体がないこと)であることが、

わかって」

との意味なそうです。

すると!!

空と言うのは

我々の住んでいる宇宙は、

常に、移り変わっている(無常)世界であり、

単独では、存在できない(無我)世界である、

を意味している様です。

つまり、

空とは??

=無常、無我のこと

となります。

すると、この本では、

空=実体がないこと

と、定義されているので、

実体はどの様に定義されているかと言うと、

実体とは!!

「無常でなく無我でないこと」=実体がある

と定義されている事になります。

あと、無常を理解するのも、

結構大変だったんだけど、

「我々が目で見ているものは、あっという間に、変わる、

目を開けたら、あっちを見たり、

こっちを見たり、常に、同じものをじっと、見つめるのではなく、

いつも、瞬間瞬間で、

見ているものが変化してしまいます。

つまり、視覚で認識している画像は、

無常、つまり、常に移り変わってしまう」

ので、確かに、視覚で見ている世界はすぐに変わる、

視覚は無常である、

と、いう事は、なんとなく、わかる様な気がします。

あと、

心もころころ変わります。

「あ〜、腹減った〜〜、と思っていたと思ったら、

視覚にポルシェとかの写真が見えたりした途端、

あ!ポルシェ、かっこいいな〜〜〜」

なんて、すぐに、心で考えていた事は、

変わります。

心で思っていることなんて、

あっという間に、

変わってしまいます。

つまり、認識(識)は、ころころ、変わります(無常)。

この本でも、

「色受想行識」を五蘊(ごうん)というらしいのですが、

五蘊、つまり、考えていることや、見ているものなどは、

すぐに変化するもので、無常ですよ、

と教えてくれます。

「イライラ、イライラ、頭にくる!!」

と思っていても、

原因のその相手の方が、

「ごめんなさい」

と、謝ってくれた瞬間、

「いえいえ、私の方こそ、すいませんでした」

と、心は、すぐに変わってしまいます。

まあ、別に、相手が、

謝らなくても、

自分で、相手が謝った時と同じ感情、思いを、

自分で作り出せば、

イライラや、怒りは、自分で、すぐに、変えられる、

怒りを感謝になんて、

考え方、解釈を変えれば、すぐに変わる。

まあ、この「怒り」を「ありがとう」の気持ちに変えてくれる、

解釈の仕方を見つける、

心の持ちようを変える練習、訓練が、

どうも、修行、

というものらしいです。

日々、修行中です。

********

あと、無我の意味も、よく分からなかったんだけど、

よく、仏教の本などを読むと、

自分一人だけでは生きて行けない、

人の助け、ご縁があるからこそ、生きていけるのだから、

感謝しましょうね、

みたいな感じで、よく言われたり、教え込まれたりする。

けど、

いまいちよく分からなかったんだけど、

毎朝、写経をして、解説の文章を読んで、

自分なりに、解釈していると、

なんか少しわかった感じ。

つまり!!

人間は酸素がなければ生きて行けない、

人間は外部世界があるから存在できる(=無我)、

と言うことになるので、

確かに、酸素がないと生きて行けない、

植物さんが光合成をして酸素を作ってくれるから、

人は存在できる、

確かに、植物さんたち、外部世界の皆さんのおかげで、

自分は存在できてます、

ありがとうございます、

と、言う感じになれた。

まあ、なんて、わたしは、一人で生きて行けるなどと、

本気で思っていたりなんかして、

努力すれば生きていけるし、結果も出してきた、

などと、思っていたわけでありまして、

非常にお恥ずかしいご自分んではありますが、

やっと、

私が存在できますのは、皆様、外部世界のおかげです、

外部世界とのご縁があるからこそ、

存在できるわけで、

そのお陰で、旅行を楽しんだり、

温泉に入って、気持ちよかったり、

ジェットコースターに乗って、

わざわざ、恐怖という感情を楽しめたり、

できるわけで、

皆様、ありがとうございます、

という気持ちになれたりなんかする。

吾輩は、外部世界の存在により、つまり、仏教でよく言われる縁起によって、

存在できるのである、

という事の様である。

けど、

「縁起によって生かされている」

という、よく言われるお言葉の意味までは、

まだまだ、全然、ダメなわけで、

理解できないわけで、

ちょろい人間な訳あります。

次の目標は!!

「生かされている」

の意味を理解することにあります。

*****

話がそれましたが、

まとめ

実体はどの様に定義されているか

実体=空でないものこと、つまり、無常でなく、無我でないものこと の様です。

ありがとうございました!

仏教の「苦しみ」の定義は!!??「自分の思い通りにならない事を”苦である”と言う」なそうで、なら、確かに、この世界は「苦」の世界だよね、という事は、理解できたのであります。

仏教の大前提は、

「この世界は苦である」

と定義されている様です。

書籍を読むと、

生老病死

とか、書かれておりますが、

「いやいや、楽しい時もあるよ!」

などと思っておりまして、

「この世界は苦である」

って、お釈迦さん言っていますが、

本当ですか?

と、思っていたのですが、苦しみの定義が、

「自分の思い通りにならない事を”苦しみ”という」

と、なっておりますので、

そりゃあ、確かに、この世界は苦だな、

と、少々、納得したのでありました。

これ↓に書いてました。

書き込み式 ボールペン「般若心経」練習帖

まあ、いつも、様々、勉強しておりますと、

定義はなんだ!!!????

と、探しながら、

勉強しておりますが、

これを探したり、

考えたりしておりますと、

かなり、様々、理解が深まるのであります。

というか、

海外などの超有名大学で学んだ方々は、

「定義」

をもの凄く、大事にされていて、

というか、

どう定義されてるの?

と、質問するわけで、

おそらく、

優秀な方々は、

「定義」は何かをしっかりと把握した上で、

それに従って、考えを、発展させていくので、

スタートになる、最初の、定義を、

しっかり、理解することをしないと、

変な、間違った形で、

考えが、発展してしまうからかと、

今更ながら、

思うのであります。

仏教って、悩みや苦しみなどが無く、心穏やかに生きる方法を教えているんだって!

お久しぶりでござんすです。

最近、写経にハマっておりまして、

毎朝、写経を行なっております。

31日で般若心経を全て書き終える形の、

書籍を用いております。

これです。

やっと、7サイクル目に突入しておりまして、

「おやおや、なんだか、毎朝、

色んなことに、気づいてきたぞ!!」

となっております。

初日から31日かけて、般若心経の写経が完成するのですが、

毎日、ほほ〜、

「般若」ってこういう意味だったんですね!

などと、毎回、新たな気づきに感動しているので、

ありました。

3サイクルを過ぎたあたりから、

だんだんと、一区切り、一区切りの、

示す意味と言いますか、

へ〜、こういう意味じゃん!

と、簡単な言葉で、理解というか、

少し、わかった気になるのであります。

という事で、

般若心経とは!!

仏教とは!!

お釈迦さんは、何を伝えたかったのか?

と言いますと、

「仏教を勉強すると、悩みとか、苦しみとか、

無くなって、というか、無くならないんだけど、

苦しみの世界の中にいる様な中で、だけど、

心穏やかに生きる方法を教えている

というのが、どうも、仏教の伝えたい事で、つまり、お釈迦さんが、

お話しした内容の様です」

という事に、なる様な感じ。

まだまだ、分からないので、

こんな感じ

みたいな、表現になっておりますが。

ちょっと、気がついた事とか、

またblog書いてみようかと。

でわ!

バイバイき〜〜〜〜ん(^^)